ダ・ヴィンチ・コード』

12歳の少年が経験するにはあまりのも切なすぎる、舞い散る雪と飛び散る血が紡ぎだす哀しくも美しい初恋. この微妙な邦題からは想像しにくいスウェーデン発のヴァンパイア映画に、劇場で見逃したことを大いに後悔すると共に、改めて初恋ほど美しく切ないものはないということを痛感しましたよ. イジメっ子への復讐を夢想する12歳の少年オスカー. そのオスカーの隣の部屋に引っ越してきた顔色の悪い"12歳くらい"の少女エリ. 雪積もる夜の公園で出会い、ルービックキューブをきっかけに親密になり、友達のいない者同士仲良く遊ぶ2人. お互いを異性としてきちんと意識しているのか微妙な年齢だからこそ、ヴァンパイアと人間の恋に大した疑問を持たない微妙な年齢だからこそ、もう少し年齢が上の思春期の男女が抱く初恋とは少し違う、相手が何者であれ純粋に「一緒にいたい」とより強く願う2人の絆. これがいいんですよね. しかもエリの食料となる人間の血を集めるために殺人を繰り返すエリの庇護者が失敗続きの末に自殺未遂をし、警察に逮捕され、そしてエリに自らの血を飲ませて命を絶つことで、エリが孤児になってしまうくだりがまた切ないこと. もう誰もエリを守ってくれる人はいない. もうエリの食料を調達してくれる人もいない. だからエリは夜な夜な食料を求め、自ら殺人を繰り返すしかない. 一方でエリを守りたいと思ってもオスカーはたかが12歳の少年. エリを守る力もなければ、食料を調達できる力もない. でも好きな女の子を守るため、昼間バスルームで眠るエリに危害を加えようとする大人に刃向かうことくらいはできるはず. オスカーがナイフを片手に精一杯の勇気を振り絞って立ち向かうあのシーン. まるで愛する年上女性のために年下の男の子が危険を顧みずに立ち向かっているようで、これまた切なく哀しいんですけど、凄く美しいんですよね. そしてその美しさが頂点を極めたのはエリが新しい地を求め旅立ち、オスカーが復讐を果たしたはずのイジメっ子からプールに押し込まれてしまうシーン. 息苦しさで絶望が徐々にオスカーを包み込む後ろで、プールの底に沈んでいくイジメっ子たちの頭部やちぎられた腕. そしてプールから顔をあげると待っている助けに来てくれたエリの笑顔. 人間にとって必要不可欠な水とヴァンパイアにとって必要不可欠な血が混じり合うその美しさが、オスカーとエリの絆が再び強く結ばれていくことを暗示していると共に、例えこの先どんな未来が待っていようともこの哀しくも美しい初恋だけは永遠に消えないだろうと思いましたよ. メールでも電話でもない、壁越しにモールス信号という少ない言葉で相手に想いを伝えるオスカーとエリ. そこにはどんな言葉でも表現できない溢れんばかりの2人の想いが詰まっているはず. 相手が何者でも構わない. オスカーだからこそ、エリだからこそ、この初恋は哀しくても美しいのです. そしてこんな想いで相手を愛せるのも、もしかしたら人生では初恋の時だけなのかも知れませんね. 深夜らじお@の映画館 もこんな初恋がしたかったです. ※お知らせとお願い ■ 【元町映画館】 に行こう. サブタイトルは「I wonder」 生き残った者はみんな辛い. 死んだ者への罪悪感、止まってしまう時間. 無残にも進んでいく時間. それらが容赦なしに人の心を傷つけていく. でも生き残った者には生き残った者にしかできないこともあるんですよね. それが次回以降のお話になると思うのですが、とにかく今回は久しぶりに涙腺が決壊しかけましたよ. まずめんまの母親の気持ち. あれは人の親でなくても、ペットや友人など大切な存在を亡くしてしまった人なら誰でも分かってしまいます. 特にめんまの母親からすれば、超平和バスターズの幼馴染6人はある意味自分の子供みたいなところもあった分だけ、余計に「なぜ芽衣子だけ」という想いが強くなってしまうんでしょうね. それは本当に見ていて辛いの一言. またじんたんへの恋心とめんまへの罪悪感の間で苦しんでいる、ポニテ姿のあなるを見ているのも辛いの一言. 自分の言葉がめんまの人生を終わらせてしまったこと. めんまが亡くなる前に自分が嫌な娘になってしまったこと. それらにずっと苦しんできたあなる. じんたんがあなるの気持ちに応えたとしても、きっとそれは一時的にあなるが救われるだけ. 多分あなるもそのことを分かっていながら、行き場のない想いをじんたんにぶつけたんでしょうね. それはあなるの涙を見る以上に辛いです. さらに「めんまが見える」というじんたんに付き合っているだけだと強がりを言うゆきあつの姿を見るのも辛いの一言. もし本当にゆきあつが「じんたんに付き合っているだけ」と本気で思っているなら、あの秘密基地では絶対にじんたんのことを殴っていたはず. それができず、涙で行き場のない拳を下ろすゆきあつの姿も本当に見ていて辛い. そして自分だけめんまが見えていることに不公平さを感じるじんたん. 奇しくもめんまの母親の涙と自分の父親の淋しい笑顔を見て親の気持ちを理解してしまったり、めんまの気持ちを考えては、めんまのお願いを叶えたらめんまが消えてしまうかも知れないことに少しずつ淋しさを覚えてはまためんまの気持ちを考えてしまう. その姿も本当に見ていて辛いこと. でも一番辛いのはこれだけ自分にとって大切な人たちが、みんな自分のことで苦しんでいる姿を見ているしかないめんまなんでしょうね. そんなめんまがあの日と同じ淋しげな笑顔を浮かべながら書いた「今日は大きくなったみんなと秘密基地であそびました. ケンカはしちゃダメです. 超平和バスターズはいっつも仲良しです. 」という日記. 大切な人を亡くした哀しみ. 大切な人が自分のことで苦しんでいる哀しみ. ついに秘密基地に揃った超平和バスターズの6人がこの哀しみにどう挑んでいくのか. 今日もまた「secret base~きみがくれたもの~(10years after ver.)」が心に響きます. 深夜らじお@の映画館 も昔の仲間に会いたくなってきました. ※お知らせとお願い ■ 【元町映画館】 に行こう. カンヌ国際映画祭での上映からあまり評判がよくなかったこの映画. とは言っても原作ファンの映画に対する期待が高すぎたせいなのかと思っていましたが、実際に見てみると普通の映画すぎてあまり面白いとは思えない映画でした. というかロン・ハワード監督の髪型と一緒でこの映画の印象も薄いんですよね. アメリカでは7700万ドルの好スタートを切ったそうですが、これもヴァチカンがケチをつけてきてくれた話題のおかげだと思います. つまりこの勢いはあまり長続きしないかと. というのもこの映画、ミステリーでありながら謎解きの部分が弱いんですよね. 狂信的な犯人が出てきたり、ガリレオ・ガリレイに関する様々な絵画に秘められた謎が多数出てくる割には歴史的な重みや深みがないのも非情に残念. そして何よりもオドレイ・トトゥ演じるソフィーが本部から派遣されていないという時点でカンタンにオチが読めてしまいました. ただキリスト教徒でない私にはこの名画に隠された謎はさほど重要ではないにしても、もしこれが事実なら大いに興味深いことです. またニケーア公会議で消されたという福音書にも興味を引かれましたし、十字軍や地動説論争など2000年以上の間に様々な歴史を持つキリスト教だけに歴史好きとしては結構勉強になった映画でした. ですから歴史好き以外の方にはちょっと退屈だろうと思いますし、逆に熱心なキリスト教徒の方には、メル・ギブソン監督の『パッション』同様にセンセーショナルなお話だったのかも知れませんね. あと映画の随所に用いられていた3DCGは凄かったですね. 歴史的なものを扱った映画にも関わらず、こういう現代テクノロジーを巧く使った見せ方はさすがロン・ハワード監督! って思いました. でもロン・ハワード監督の作品ってこれまでいろいろ見てきましたが、いつも外れもなければ当たりもない作品ばかりですよね. これは何とかならないのかな~? 深夜らじお@の映画館 の髪の毛はまだフサフサです.